私たちの力を削ぐ呪いの言葉「8020」と決別しよう!

年が明け、またひとつ歳をとってしまう。「人生経験を積む」と言えば聞こえはよいが、私の場合、ただ世馴れただけのようで年々物事に新鮮味が感じられなくなっていく。流行りの楽曲を聴いても誰かのパクリに聴こえるし、映画を観ればどれも旧作のリメークに思え、SNSで評判の歯科セミナーを視聴すれば「あんなのは90年代にさんざんやった・・」と、ウンチクを垂れたくなる。知らなければ楽しめたのに、知っているばかりにつまらなくなってしまう。

これを「知恵の悲しみ」と呼ぶらしい。若い頃は知恵を身につけることに喜びを感じていたが、知恵がいったんつくと、世の中に新しいものがなく、すべてが虚しい繰り返しに思えてくえる。歯科商業誌はその最たるもので、何かが変わったと感じないどころか、焼き直し企画ばかりで腹がたってくる。こうした傾向は脳の老化現象かもしれないと思い、「毎日脳活・脳ドリル」を手にしてみたが、つまらないことを通り越しセンチメンタルになってしまう。

そういえば日本社会にも同じようなことが。最近は「失われた30年」というフレーズを聞くことが多くなった。最初は「失われた10年」だった。私が歯科業界に足を踏み入れたころで、バブル経済崩壊以降に経済停滞が続いた1990年代を指す言葉だが、経済停滞も私の業界キャリアもとうとう30年まで延びてしまった。日本社会は「失われた30年」の間「成長」も「追いつけ追い越せ」のメンタリティも失ってきたが、歯科業界はさらに深刻で、良い方向に変わっていく感覚さえも失っているように感じる。

一体どうすればよいのだろうか。遠い昔、予備校の授業で、現在では万葉集研究の第一人者となった中西進先生から、万葉集の歌は「読むのではなく詠むもの」「ただ言葉を求めよ。そうすれば感情がついてくる」と教わった。そのときはまるで部活の円陣での掛け声のようだ、と思う程度だった。

感情より先に言葉を求めよということか。例えば、歌を詠もうと花を見てまず感動しようとする。が、感動しない。老化で感性が鈍くなったのか、などと思うことなかれ、感動しなくても「いとおもしろき」と声にして半ば無理やり感情を引き出すのである。おもしろいから「おもしろい」と言うのではない。「おもしろい」と定めて声にしてみれば、おのずとおもしろみを感じてくる(はず)。

さあ、ここから何を始めよう? 「失われた30年」は、AIやDXで「生産性を上げること」や「働き方を変えること」で、良い方向に変えられるだろうか。それさえも工業立国日本のJapan as Number Oneへの見果てぬ夢の匂いがする。もう私たちはノスタルジーから離れて原点に還り「生き方を変えること」、万葉集に倣い「声を出す」ことでしか、何も変わらないのではと思う。

なにはともあれ、まずは「おめでとう」。そう口にして、おめでたい気持ちで年の初めを迎えよう。続いて私たちの力を削ぐ呪いの言葉「8020」と決別し、「KEEP28」と声にして、来年こそは、歯科業界と社会が共に良い方向に変わっていく感覚をもう一度呼び覚ましましょう!