歯科医師は、街を捨て地方に行こう

 昨日は羽田への最終便が霧のため飛ばず、青森県三沢に留まった。野球少年だった私は、空港からタクシーで三沢高校に向かった。夜8時過ぎ人影もなかったが、かつての甲子園のヒーロー太田幸司が白球を追ったグランドを見られただけで十分だった。その足で寿司屋に向かい、カウンターに座る。横から聞こえてくる津軽弁は、抑揚なく朴訥に語る作家寺山修司を思い出させる。三沢は、太田幸司、寺山修司という日本の高度成長期を代表するヒーローを生み出した土地だ。そして現在は、日本の政治経済の暗部、米軍基地と原発処理施設が地域の基盤になっている。

 この地域の歯科医院からは、これからの医院経営の在り方が見えてくる。三沢では女性専科として美を追求する自費歯科医院が成り立ち、ある医院では車で30分かけて自費治療に通院する患者も少なくない。これといった産業が無い土地だが、原発マネーの関係か?三沢に隣接する六ヶ所村の平均年収は大手企業部課長クラスである。この地域の生活者は、歯科にかけるお金は十分にあるようだ。クライアント医院もそんな市場性に準じてCTとセレックがあり全て個室だ。過疎が進む地方の歯科医院とは思えないストラクチャーである。

 三沢に限らず地方医院を見る度、都市部の自費主体医院が発する「質」には、疑問を感じる。医療の質の追求は「失敗しない質=安全性」→「ばらつきが無い質=標準化」→「卓越した質=技術力」の順で成り立つ。その中で、安全と標準化は一定の『広さ』を担保にする。『広さ』というコストを犠牲にする都市部の医院が、「卓越した質」を売りにするには無理がある。技術力は安性全と標準化の先にある質だからである。

審美歯科やインプラントなど技術を売りにする歯科医師は、今後地方で開業してはどうであろうか。2時間もあれば大抵のところに行くことができる日本、消毒滅菌も技工も在庫もスペースが混在した診療室に見切りをつけて、本来の質を追求することができる。その上、無理な誘導も過剰な広告費もいらない。

かつて寺山修司は「書を捨て街に出よ」言った。
歯科医師は、街を捨て地方に出る時代が来た。