“市場は、競争を促し、競争はそれに携わる者に効率と生産性を分かち与える”
この一文を金科玉条として、30代の頃は経営修士を取得するためのゼミで、競争原理に基づいて企業戦略をいくつも策定していたものです。
“結果、市場の試練を経た商品や労働力は、生産性と品質の向上を果たし、社会は豊かな果実を手にいれ同時に企業はより優れた組織体となる。”とゼミでは、今ではほとんど価値のないMBAホルダーになるために帰納させてきました。この空論が修士課程では一応真実としても、実社会では、対象となるモノが市場競争に最適化されている場合に限られるのが現実です。
市場競争の根本は淘汰の過程にあります。品質の低い製品や割高なサービスは、市場を通じて淘汰されていきます。これは競争原理では正しい過程です。淘汰という過程を経て、市場はより先鋭化し、製品やサービスは高い競争力を身につけていき、社会全体の生産された財の付加価値が高まっていくわけです。
しかし、淘汰の対象が歯科衛生士である場合は、ことはそう単純ではありません。歯科業界が飽和している状況の中、アメリカからいきなり競争原理が入ってきたために、歯科業界は喜び勇んでシンプルな労働市場と同じように売り上げ測定で競争原理を働かせてきました。その結果が、「安売りインプラント」などに代表されるように、世間からの歯科業界に対する信用不安を引き起こし、その周辺には「ワーキングプア」「歯科大定員割れ」「歯科衛生士不足」などの問題も連なる惨状を招いています。
最もシンプルな労働市場を想定すると、優秀な人材が浮上して、不良な人材が市場から淘汰されていくのは特に理不尽な過程とは思えません。例えば、営業マンの売り上げ、水商売の指名数などのソーティング可能な数字であれば、労働力といえども市場競争にさらされることで、その会社や店の業績は向上していくでしょう。
しかし、歯科衛生士の労働生産性は、単純に数値化できるものではなく、標準化も序列化もシンプルな労働市場のように売り上げだけを考えてできるものではありません。しかし現実は、院長も歯科衛生士も担当患者数が増えたか、保険点数をどれだけ積みあげたかということに意識が向くようになり、単純な売り上げ競争になっていく傾向があります。それは、歯科衛生士を知識労働者から肉体労働者へと逆行させる蛮行とさえ言えます。なぜなら担当制や歩合制などは、確実性と安全性とその品質を問わなければ、現行の保険制度下では売り上げを伸ばしていくことは容易で、その業務は歯科衛生士の知識の発揮を制限し、肉体労働に近づく行為だからです。
超音波スケーラとハンドインスツルメントの使いわけができます。患者説明ソフトを使い患者に説明します。これでも肉体労働でしょうか? 肉体労働です。機械を使って肉体労働の生産性を上げたにすぎません。歯科衛生士業務の産業革命黎明期の次元です。肉体労働とは、一連の作業を個々の動作に分解し、再度まとめあげることができる作業、つまりプログラミングできる作業のことです。歯科医院で言えばマニュアル化できる業務は肉体労働なのです。新人歯科衛生士でも一定のトレーニングを積めば、先輩歯科衛生士と同じ作業ができるようになる。業務に慣れてくれば、作業時間は短くなり、担当患者数は増え、保険点数が積みあがる。生産性が上がる機械設備やソフトを導入して、労働装備率を高めれば、歯科衛生士の生産性は向上する。一見、知識労働のようでいて、これではもっぱら量を問題にする肉体労働の生産性と同じなのです。
歯科衛生士の仕事は、個々の患者に直面する中で、個別的に発生する業務をより多く含んでいます。その仕事の当事者以外が、担当患者数や保険点数で一律に評価をすることは不可能に近く、担当患者数や売り上げ査定での淘汰という措置が歯科医院の現場を活性化するとは考えにくいのです。これが水商売の世界なら、数字の上がらない年増のキャバ嬢を淘汰して若いキャバ嬢を増やすことにも、一定の妥当性はあります。お金を稼ぎに来ている人が集まる業界では、市場原理が停滞を一掃して、より高いモチベーションを生み、売り上げ競争が全体の発展につながるからです。
しかし、歯科医院のような医療の現場に市場原理だけを持ち込んでも、売り上げに準じて全体の発展の評価指標となる治療成績が伴ってくるとは考えにくいのです。先般、ある大手企業の健保組合の人と2時間余り話す機会がありました。その企業では2012年から現在まで8年間、25歳~40歳の従業員を対象に毎年約4,000人~5,000人に、「従業員の歯周病予防」を目的とした歯科検診を実施していますが、歯科治療費の増減に変化はほとんど見られないそうです。期間が短いこと、検診から治療・予防への紐づけデータが不明なためはっきりはしませんが、歯科医院の場合、患者個々に発生する症状に対応した説明や業務でなければ、品質を伴わない証左のように思います。つまり歯科検診でしたらその品質は受診者の行動変容です。歯科医院では、むしろ売り上げ=量に重心が傾くと品質は相反すると考えるのが妥当な論ではないでしょうか。
物販や水商売の場合は、売り上げによる淘汰により市場は磨かれ、商品やサービスは高い競争力を身につけていき、業界全体の財の付加価値が高まっていきますが、歯科医院の場合は、業界全体の財の付加価値の低下に作用していく傾向があるように思います。身近なところで、肉体労働の市場原理だけを持ち込んだ歯科医院では、面従腹背の歯科衛生士が増えて、より陰険なカタチの怠業を蔓延させ、歯科衛生士が定着しなくなるのはよくあることです。
歯科衛生士の成長と歯科医院の生産性の向上を同一化するには、歯科衛生士を知識労働者としなければなりません。歯科雑誌を読んでいます。カリオロジーの抄読会に参加しています。素晴らしいことですが、その多くは肉体労働をしている歯科衛生士よりも情報量が多いだけに終わっています。そんな情報だけなら大学の図書館やwebにはかなわないわけですから、一歩も二歩も踏み込まなければ時間の浪費に終わります。知識とは歯科衛生士業務の品質向上を達成するもので、患者の行動変容をもたらすものでなければなりません。その上で、歯科衛生士を労働集約的な仕事から解放して知識集約的な仕事へ導くのが令和の歯科医院のあり方です。
錯覚しがちなことは、患者情報をデータ入力することは知識労働ではなく肉体労働だということです。生産性の低いデータ入力はできる限りパターン化するか、外部の人にアウトソーシングする仕事です。その上で、歯科衛生士には統計処理された患者データを読み解かせて、知識労働者として自覚を持って顧客満足に直結する仕事に集中させれば、多くの歯科医院は生産性の高い組織へ生まれ変わるはずです。知識労働者となった歯科衛生士は、頭の中の専門知識を使って、患者(人)、機械・ソフト(モノ)、保険点数(カネ)を生産手段として使い、付加価値を創り出す主体になります。こうなると、診療室でのマニュアル作業を生産要素としている肉体派歯科衛生士とは本質的に異なり、知識という無形の経営資源を持って顧客満足を創り出す医院資産として歯科衛生士は位置づけることができます。
歯科衛生士に肉体労働をさせている限り、院長は、夜の天気と当日の売り上げばかりを気にするキャバクラ店長と同列なのです。歯科衛生士に知識労働をさせて単月売り上げからリピート回数と行動変容を、保険診療だけでなく保険のルールに知識が縛られない自費予防業務も、そういうことが顧客満足の証と考え、知識労働者に歯科衛生士を変えるのが令和の予防型歯科医院の院長ではないでしょうか。