歯科界を席巻しつつある予約サイト。そこに表明されている「口コミの品質・公平性への取り組み」の内容たるや、片腹痛いことこの上ありません。そこに示された運営方針をまとめると、「都合の良い口コミ、都合の悪い口コミを集中させたりしないようにID認証などを行い、信憑性の高い口コミ情報発信に努め、中立・公正な運営を行います」となります。このサイトの口コミは自発的なものではなく、アンケートという体裁をとり、回答者には飲食店などのクーポンを渡すことでアンケート=口コミへと誘導しています。
ところがアンケートが予約サイトへの口コミという体裁へとすり替えられると、何故か予約サイト契約医院の口コミは軒並み高評価なものばかり並び、自らが表明する中立・公正を欠く始末。歯科医院が嫌うGoogleの口コミは、その約38%が歯科医院に手厳しい内容(弊社調査)であるのに対して、この予約サイトの口コミには歯科医院に厳しい内容はほとんど見当たらないのです。さらに掲載されている口コミが「だ・である」調の文体の時期と「です・ます」調の文体の時期が分かれて存在しており、アンケートの文体を見慣れている筆者には不自然きわまりなく感じます。
予約サイトのテキ屋とサクラのようなビジネススキームを信用して、歯科医院を選ぶバカにつける薬はないとしても、サイト運営会社が、品質やら公平性などと云々言う厚顔さには腹が立ちます。ID認証などの浅知恵で品質やら公平性やら能書きを言う前に、口コミ投稿者に一言「名を名のれ」、実名以外は受け付けない、匿名をやめると伝えれば、事は簡単に解決するはずです。
元来、口コミとはその内容以前に語る人の信用の上に成り立つものです。その肝心な語り手を匿名にしたり、ハンドルネームを使ったりする人の考えや評価が、口コミに価するはずがないのです。ましてやクーポンで餌付けされた人の評価をもってして、品質やら公平性を表明するインテリジェンスは噴飯ものです。とは言っても、こんな例は、歯科界にはごまんとあります。中立的・科学的な第三者機関と錯覚させるようなナンチャラ評価機構なる医療評価をする組織がいくつもありますが、くだんの予約サイトと仕組みは同じで信憑性はなく、口コミを評価基準に置き換えた巧妙さが違うだけです。
今から遡ること15年、東京のとある矯正歯科医院が自院で口コミを書き込むアルバイトを雇い、推奨書き込み7割:注意書き込み2割:文句書き込み1割と按分を決めて自作自演口コミで患者誘導の導火線をつくり、多くの矯正患者を集めていましたが、数年後には医院の弱みを握ったアルバイトたちから際限のない賃上げを要求され続け、最後には廃院して始末をつけたのです。まさにネット社会の闇を象徴する出来事でした。
予約サイト運営会社も評価機構も、そしてそれらの媒体と契約する歯科医院も、それぞれがそれぞれの事の本質に向き合うことなく、目先の利益のために組織ぐるみで15年前と同じ轍を踏んでいるわけです。そうは言っても歯科界での生き残りをビジネススキーム、つまり商売に依存しなければならない時代になったという外野の声もあるでしょう。「どうあるべきかという観念論」よりも「どうすれば儲かるかという経済合理性」を優先するならば、予約サイトにしがみつきながら口コミに一喜一憂する歯科医師は、YES高須クリニックの高須医師のように潔く保険医を返上してビジネスの論理で生きていくべきです。まあ、その覚悟は持てないでしょうが、そうすれば経済合理性だけの世界で商業医療としてスッキリと生きていけます。
次にネットの口コミに汲々としている歯科医師に問いたい、あなたの医院からビジネスの骨組みを取ったら何が残るのでしょうか? と。そこに確たるものがあれば、口コミに一喜一憂することはないはずです。歯科医師が「歯科医院経営をする目的」から「ビジネスの目的」を引いたとき、歯科医師になった目的が無限にあれば、口コミの誹謗中傷はどうでもいいことのはずです。気になるのは、ネットからの患者が減って利益が減ることを恐れるからに他なりません。あなたが口コミに怯える歯科医師人生を送りたくないのならば、歯科医院経営の目的を利益の最大化に置いているあなたの考えを変えることです。
顔も名前も伏せたままネットに口コミを書く人の意図は、自分を守ることだけではく、他人を攻撃することです。自分は匿名に守られながら他人は攻撃したいという、この小心にして卑怯な心性がネット口コミの姿です。本当に知らしめたいことならば、実名で書けばいいのです。実名で書くと攻撃が怖いのならば、そんなことはやめればいいだけです。そういうどっちでもいいことしか書いていないから、匿名でしか書けないのです。
こんな愚にもつかない意見や考えを集め診療予約を代行する未熟なネットビジネスに歯科医師人生を託すことは、筆者が歯科医師だとしたらまっぴら御免です。診療予約サイトを選択することで、歯科界のラットレースから抜け出せると思っているのでしょうが、そんなことはありません。むしろネット上でのラットレースに新たに参入することになり、ますます本質と向き合うことなく歯科医師人生を終えていくことになるでしょう。