「人生100年時代」、「100年住宅」と世の中は100年の形容詞で溢れ、歯科にも「100年続く歯科医院」と銘打ったセミナーや書籍がある程です。これらの内容は知りませんが、歯科大学で最も歴史のある東京歯科大学の母体の創立が1907年ですから、実際の歯科医院の100年経営はほとんど前例がないことになり、ずいぶんと遠大なテーマを掲げたものです。ちなみに、日本の全産業で100年以上続く企業は約26,000社、その中で売上50億円以上となると69社存在しており、日本は世界一の長寿企業大国といわれています。
100年以上続く長寿企業のほとんどは、非上場の企業であり、創業者の哲学を守り通して、顧客の信頼第一を旨として経営されてきた企業です。株主利益や株価などに左右されず着実に続けてきたからこそ、信用も蓄積され生き残ってきた企業ばかりです。ところが、この四半世紀の情報化の進歩は、こういった日本的企業の在り方を大きく変えてきました。同様に私たちの生活、そして歯科医院の経営も変わりつつあるのは、やはり情報技術の変化の影響と言えます。
ITによる集患やサービスなどが歯科医院に与えたインパクトは大きく、とりわけネットの世界では、歯科医院の実態や歯科医師の考え方を伝えることよりも、どれだけの多くの人に見られているかに高い価値が置かれています。そのため歯科医院経営でクールなことは、上位表示されるホームページを有すること、YouTubeに再生回数の多いビデオを投稿すること、多数の「いいね!」がつくFacebookアカウントを持つことになっています。歯科界ではITによる安易な成功が持て囃されているわけですが、ITで歯科医院の根本を変えることができるはずもなく、ましてやITを主軸に「100年続く歯科医院」など構想すらできないと思います。
くだんの本のように歯科医院経営に100年の未来を求めるのならば、最初に歯科医院がどういう道筋を歩んできて現在があるのかを問い直すことから始めるべきでしょう。歯科医院経営の根本は、創業者哲学が脈々と続く長寿企業の原形同様に家内工業的であるゆえに、その実践は院長の見識に100%委ねられています。つまり、院長が根本経営体そのものなのです。ITによるクールな経営からはかけ離れる仕業となりますが、歯科医院経営を考えるには、根本である院長自身の思考のあり方を考えることが求められます。
常々感じている歯科院長のタイプを大雑把にいえば、2種類に分かれます。このことは歯科特有のことではありませんが、「自分の利益しか考えていないタイプ」と「みんなまとめて面倒見ようというタイプ」に大別されます。市場原理で歯科医院経営をしていると「自分の利益しか考えていないタイプ=利己主義」の院長が増える傾向があります。人は自分の利益を最大化するための合理的な方法を常に考えて動くという思考の持ち主です。時間を節約するためにお金が必要な場合もあるように、日常的に金銭を問題解決の道具とすることを合理的な方法と思っているタイプです。例えば患者数ですが、患者が減ってきたからといってはPPC広告を繰り返したり、やたらに予約サイトに登録したりすることに金銭を使う院長がいますが、それは単にリセットを繰り返しただけで、患者が来院しない根本的問題を解決したことにはなりません。短期的には合理的なようでも、長い時間の中では不合理なことがわかっていないのです。
歯科医師は概ね45歳前後から肉体が劣化しはじめて、自分の肉体の機能がいかに日々の臨床に影響があるものかを実感すると、これから先、歯科医院経営は歯科医師ひとりの技量ではジリ貧になることが見えてきます。その時になって利己主義の限界を悟り、金銭で辻褄合わせをしてきた経営を悔いても時遅し、利己主義の習慣が足かせになって、惰性で50代、60代を過ごし廃院していく例は少なくありません。
こういうと、「みんなまとめて面倒見るよ=相互扶助主義」的な院長が理想のようですが、そうとも言い切れません。場当たり的に相互扶助主義を繰り返していく院長は貧乏になる典型で、家族には迷惑がられスタッフは去っていき、挙句の果てに患者も減少していく歯科医師人生を送る例を多々見てきました。それではどうすればいいのでしょうか。「利己主義」と「相互扶助主義」の2つの志向を折り合わせることが、小規模零細な歯科医院経営には必要なのです。どちらの志向がよいとかすぐれているとかではなく、歯科医院とは常に相反する2つの焦点(志向)をコントロールしながら経営していくものなのです。院長自身の思考の中にも、利己主義と相互扶助主義という相反する価値観が共存しています。この2つの焦点がせめぎ合うとき、折り合いをつけることで真っ当な大人として社会生活ができるように、歯科医院経営をしていくうえでも、様々な矛盾する二項の折り合いをつけることが重要なのです。
歯科医院の価値観と社会の価値観は、しばしば乖離するために患者が減ることもあります。そんなとき、利己主義だけで測ると歯科医院は脆弱な存在に感じるかもしれません。しかしそんなときでも、スタッフと患者の信頼第一を旨とした相互扶助的思考を持っていれば、歯科医院は逆風も強くしなやかに乗り切れます。業界が幼稚化してくると、利己主義的経営が主流となってきますが、どちらか一方の物差しでは歯科医院経営は継続しないのです。院長の見識や組織の性格によって、どちらか一方が強く出ることはあっても、二者択一ではなく、二者のバランスをとることが大切と思います。なんだか渋沢栄一の「論語と算盤」のような話になってしまいましたが、大型連休中に二番煎じの歯科コンサル本やDVDに時間を割くくらいならば、古典的経営書を読まれてはいかがでしょうか(天に唾吐くとは正にこのことです)。