実業界では、入社後3年以内に中卒7割・高卒5割・大卒3割が離職する「七・五・三」現象がよく知られるところですが、歯科界では、歯科助手7割・歯科衛生士5割・歯科医師の3割が、採用後3年以内に離職する傾向が「七・五・三」現象と言えるかもしれません。
特にこの数年の歯科衛生士の採用・雇用の状況を考えると、そこに矛盾と限界を感じます。矛盾とは、歯科医院が採用に努力すればするほど、求人エージェントは増え雇用条件は釣り上がっていき、高賃金の情報が増えることで離職率が加速する状況になっていること。限界とは、今のままの採用の仕組みでは、歯科衛生士の採用コストと賃金は上がり、歯科衛生士の採用・雇用の繰り返しが歯科医院経営を疲弊させること。その結果、歯科衛生士も帰属する歯科医院経営が不安定になり、将来設計が立てづらい業界になりつつあります。
電車に乗れば、大手転職エージェントのデジタルサイネージからは、「入社1年以内に会社を辞めても、まったく問題ない。」、さらには「3年は我慢しろというのは間違い。3年は長い。我慢してやる気がさらに下がるくらいなら、早く辞めて次の仕事に就くほうが幸せになれる可能性が高い。」等々、自分の齢も立場も忘れて「なるほど!」と納得してしまうような、早期退職を促すメッセージが世の中に溢れています。
こんな空気の中「院長、退職したいのですが…」とあっけらかんと切り出す歯科衛生士の言葉には、未練もなければ悪意もない。そこにあるのは、次の職場への「ささやかな希望」。やっと採用した歯科衛生士からの退職の申し出に、院長は頭の中が真っ白となり引き留める言葉も出ない、精魂を使い果たした、という感じです。大企業と違い小規模組織の歯科医院で、院長自らが引き留めたり、理由を聞いたりするかと思いきや、ほとんどの院長が引き留めをしない理由は、歯科衛生士の職場への「ささやかな希望」をつかみ切れていないことに一因があります。
転職エージェントが積極的に転職を促すのは、歯科医院が歯科衛生士の採用に汲々としているからに他なりません。しかし、転職エージェントに費用を払いやっとのことで採用した歯科衛生士を、数年で転職エージェントに戻し、また転職エージェントに費用を払い、どこかを辞めた歯科衛生士の採用を繰り返す。採用→辞める→採用→辞めるという負のスパイラルを断ち切らなければ、歯科医院の安定経営はなく、その先にある顧客満足度の高い歯科医療も夢物語です。今こそ歯科医院は、歯科衛生士が持つ「ささやかな希望」、つまり職場に何を求めているのかを考えることが求められています。
2020年までは景気は依然右肩上がりで、超売り手市場の世の中といわれています。すでに歯科の人材、とりわけ歯科衛生士は、医科や介護などの他業界に流失している現状で、歯科医院はどのように歯科衛生士の採用・雇用に向かい合っていくのでしょうか。
まず、歯科衛生士が辞めることでの医院リスクを整理してみます。
- 採用コストがかさむ
- 教育研修や引き継ぎのロス
- 事業展開のスピード鈍化
- 職場の雰囲気と倫理観の悪化
- 顧客満足の低下
以上のように、歯科衛生士の離職は歯科医院にとって想像以上のダメージになります。にもかかわらず、歯科医院は、歯科衛生士を辞めさせないための努力や工夫は二の次として、根本的要因を探ることなく、転職エージェントに頼る場当たり的な対策に終始しています。
「そんなことはない」と言う医院が行っている福利厚生の充実、セミナー補助費、資格取得支援、育児環境の整備など、歯科医院にとっては出血大サービスな対策も、歯科衛生士にとってはガス抜き効果にはなるものの、離職率の低下や医院業績の向上にまでは至っていないケースが多いようです。これらは、歯科業界の思い込みや歯科医師の決めつけによる対策にすぎず、逆にコストと時間を無駄にしている場合もあります。ここまで状況が悪いのですから、急がば回れ、まずは、根本的な要因を把握してみましょう。
かくいう私も5年前までは、歯科衛生士の離職対策は、歯科業界の決めつけの枠の中で考えていました。ところが、私の決めつけは、日本能率協会が調査した第1回「ビジネスパーソン1000人調査」を見てガラガラと崩れていったのです。その調査によると「仕事内容と職場環境のどちらを重視するか」という問いに対して、20代などの若手社員は職場環境を重視する割合が高いのに対し、年齢を経るごとに仕事内容を重視する割合が増えています。これを歯科医院に置き換えると、「理念」や「診療方針」の重要性、診療の質を示すことが、若く有能な歯科衛生士への効果的なPRと決めつけ、職場としての楽しさや若い人材のライフスタイルを考慮しない昭和気質な発想で対策をしているということです。つまり、平成生まれの20代新人気質のストライクゾーンを見誤っているのです。また、「個人裁量の職場かチームワーク重視の職場のどちらの職場で働きたいか」という問いに対しても、若者世代(20代)の方が「チームで仕事」することを好む比率が高くなっています。これに対しても、それまでの私は歯科衛生士個々のキャリアデザインを重視しすぎ、チーム医療のベースとなる職場での人間関係の築き方まで踏み込んで考えていませんでした。
このような経験を踏まえて歯科衛生士の離職トリガーを挙げてみます。
- 「見て覚えろ」スタイル
少人数の歯科医院では、教育の優先順位が低くOJTが確立していなため、「見て覚えろ」スタイルが主流になっています。そのため、新人歯科衛生士が仕事を覚えられないケース。 - 勉強会などが長時間労働を助長
業務効率や診療の質を上げるための改善策や院内勉強会を業務時間内で行わない。スタッフ個々の裁量に任せ、その結果、新人歯科衛生士ほど残業時間が増えていくケース。 - 目的を示さない業務指示
目的を説明せずに「何々やって」と指示する、いろいろな先輩が指示するため、目的がバラバラになり、新人歯科衛生士が混乱してモチベーションが維持できないケース。 - 教える先輩スタッフが決まっていない
手が空いている人が教える医院。新人歯科衛生士は誰に聞いていいかもわからず、遠慮しながら謝りながら教えてもらうケース。 - 教育スタッフの評価が低い
新人教育担当スタッフの評価を正当に行わないため、教育担当スタッフが患者対応や実業務を優先し、新人歯科衛生士の教育に積極的に時間を使わない。その結果、新人は教育担当スタッフの横にいて仕事を見ているだけの状況になるケース。 - 院長が約束を守らない
医院に入ったばかりの新人歯科衛生士は、まだ医院への帰属意識が高くなく、「この医院で将来も仕事を続けていけるだろうか?」と値踏みしながら働いています。院長は軽い約束のつもりで「今日は忙しいから…」と約束を反故にして、信頼を落としているケース。 - 承認や賞賛がない
新人歯科衛生士は誰もが自分の評価を気にしています。診療業務に忙殺され新人の業務評価や労いの言葉がないと、新人は不安になります。「仕事が合わない」、「成長できない」など漠然とした理由で離職する新人の多くは、院長から評価されなかったと思っているケース。
福利厚生の充実、セミナー補助費、資格取得支援、育児環境の整備などの制度の充実やリクルートエージェントに頼る前に、1~7にある医院風土に根ざした根本的な改善を行うことが、採用→辞める→採用→辞めるという負のスパイラルから抜け出す採用・雇用の「急がば回れ」ではないでしょうか。