過労死症候群の歯科医院

電通の新入社員の高橋まつりさんが(享年24)、過労のためうつ病を発症し、「働くの、つらすぎ」「眠りたい以外の感情を失った」と言葉を残して昨年の11月に自殺してから1年が経ちました。

この事件をきっかけに厚労省で過労死防止対策白書なるものが毎年発表されていることを知り、平成28年度版の過労死白書の数字を追ってみました。過労死ラインとされる1ヶ月の残業時間80時間越え、つまり週労働時間60時間以上の雇用者数は、2015~2016年をピークに穏やかに減少しています。それでも週60時間以上働いている雇用者は全体の7.7%に当たる429万人もいます。

それ以上に私が着目した点は、週労働時間60時間以上働いている法人役員が9.3%、自営業者は13.6%いることです。この13.6%に含まれる歯科院長も少なくないはずです。労働時間だけを見れば、雇用者よりも雇用主の方が日本では過労死の瀬戸際に追い込まれているように思えますが、一概にそうとは言えません。

電通の高橋さんの自殺前のツイッターの書き込みにも「男性上司から女子力がないと言われるの、笑いをとるためのいじりだとしても我慢の限界である」とあるように、上司からのパワハラやセクハラなど職場での人間関係のストレスが、雇用者の長時間労働の疲労感を増幅させているのです。その結果、雇用者は長時間労働に加えストレスが、過労死へと追い込まれていく一因になっていると考えられます。

この点、雇用主の歯科院長は自分の裁量で仕事ができるために、長時間労働を避けられる立場にいます。また、過労死のもう一つのファクターである労働環境も自らの才覚で変えることができます。そのため、週労働時間60時間以上の割合が雇用者(7.7%)よりも遥かに多いの雇用主(13.6%)が、過労死ラインに存在しているにも関わらず、問題化されないのでしょう。しかし、最近の歯科医院を見ていると、そうとも言えない自縄自縛の状況になってきています。

医業収入が停滞する現在、歯科では予約サイトや内覧会業者を導入しなければ、経営が不振になるという風潮から、利便性を求める患者を受け入れるサービス体制にコストを投下して、医院が疲弊していくケースが散見します。集患のための経営計画が、知らず知らずのうちに過剰サービスとなり、労働環境の悪化を招き、雇用が不安定となる傾向が目立ちます。その結果、院長自身の雑務も増えるというオウンゴールによって、医院全体に過労のシグナルが点滅しています。それにも関わらず、利便性に突き進む医院は、まさに思考停止状態の過労死の前兆に踏み込んでいるように思えます。

過剰サービスが労働問題に発展した事件として記憶に新しいところでは、宅配便業者の当日配送や時間指定配送、無料再配達などによるセールスドライバーの労働環境の劣悪化です。「年々苦しくなってきて、あと30年これを続けることが想像できなくなった」と、宅配便ドライバーは吐露しています。「働くの、つらすぎ」と言って亡くなっていった高橋まつりさんと同様に無気力状態に追い込まれているわけです。歯科院長の思考停止状態は歯科を宅配便業界と同じような道に貶めるように思えてなりません。

宅配便業界と同じ轍を踏んでいる一例が、キャンセルする患者の際限のない再予約です。さらには一定のキャンセルを見越して、同時間帯にネット予約枠を入れたりすることで、アポイントは過密になり、予約時間通りに診療が始まらない、すると今度は予約時間通りに始まらないことを見越して患者が来院してくる。こんな歯科医院だからキャンセルするのも気にならない患者が増えてくる、といった悪循環に陥るのです。それもこれも便利さを求めるコンプライアンスの低い患者を、コストをかけて集める過剰サービスに端を発しています。集荷率を上げるため時間指定配送と無料再配達をすることで、自社ドライバーは過労死寸前にも関わらず、不正をして事業を存続させた宅配便業界と、歯科医院の集患計画は同じ次元と言えます。

過剰サービスに慣れた生活者が患者に変わる時、歯科医院は電通や宅配便業界のようになり得ることを学ぶべきです。生活者にとって当たり前になった過剰サービスをそのまま歯科医院に呼び込むことは、院長・スタッフ全体で過労死症候群への第一歩を踏み出すことになります。医療の本質とは関係のない過剰サービスによって、歯科医院が乗っ取られるような過酷な働き方を当たり前にしてしまっているのです。また、医療の本質以前に利便性ばかりが優先されることは、歯科医院そのものが自殺するに等しいのではないでしょうか。

高橋まつりさんの自殺の後、元電通のコピーライターの前田将多さんは、「恐ろしいのは電通でもNHKでも安倍政権でもない。どこにでもいる普通の人たちだ」と、言っています。戒めにしたいものです。