10年ぶりの熊谷崇先生セミナー所感

制度依存的予防歯科からの脱出

先般、日吉歯科診療所で開催しているオーラルフィジシャン育成セミナーを、およそ10年ぶりに聴講する機会に恵まれました。本セミナーは、“予防歯科を目指す歯科医師に、データと臨床に基づき疾患の発症予防、再発予防、最小侵襲治療を実践する診療所作り”を提唱するセミナーです。本セミナーは、職人的技術を持つ歯科医師がもてはやされていた1990年当時から28年間続き、約2,100人もが受講しているロングランセミナーです。予防セミナーの上、特にPRをしていないにも関わらず、長期間にわたり多くの歯科医師に支持されてきました。それは、本セミナーが時代に応じてアップデートされてきたこと、そして熊谷先生が単なる治療技術のスペシャリストではなく、歯科医療の未来像を示す理念的指導者としての魅力ゆえと思います。

以前の内容を思い起こしながらセミナーを聴講していましたが、バイオフィルム感染症のデータとメインテナンスを基本とした軸は変わりませんが、予防から予測へ、患者個々のリスクアセスメントの分析へと進歩しており、以前に増して医療的内容になっていました。

大きく変わったのは、患者情報管理と理解にクラウドを導入したことです。これは単に診療情報管理の変化という表層的なことにとどまらず、医療機関では難しい「営利と社会正義の調和」の道筋を、クラウドを利用することで示していました。とりわけ社会性を問われる予防型歯科医院では、現在に至るまで営利と社会正義という異なった概念を結び、その調和を図るための明確な論理の構築ができていませんでした。それは、歯科医院が予防の収益源にコンプライアンスの問題を抱え、報酬の線引きですっきりとしない状況が現在に至っても続いているからです。

このような状況の中、クラウドを利用して診療情報を患者と共有することによって、患者の品質判断力を高め、品質を担保できる歯科医院は「営利は歯科医院が患者(社会)に貢献した結果の報酬」として自由診療を公明に打ち出し、制度に依存しない報酬として制度に制約される保険収入との線引きを可能にしています。

歯科界も薬品・電力・農業など社会的制度に依存し制約されている分野と同じように、品質を上げようと突出するものを阻む平均値的文化を作り上げてきました。その結果、「低コストで中品質な歯科医療」「国内制度の視点に縛られ、世界基準の欠如」「経営の保険制度への依存体質」などの傾向が顕著になり、これらのことが業界の活力を奪い、世の中の本質的な歯科需要を低調にしてきた要因になってきたように思います。

今まで歯科医院の品質と競争力を高めてきたのは、臨床現場の歯科医師よりも、歯科理工学の進歩や保険制度の政策転換でした。しかしクラウドは現場の歯科医師の行動によって品質と競争力を高めることを可能にしています。その結果、歯科医院自身の革新から業界活力を上げ、歯科市場の開拓を進めることもできます。実際にその効果は、この1年で本セミナーを受講した中核歯科医院を取り巻く経営環境が、自業界と地域中心から、他業界と社会へと広がる動きからも明らかになってきています。

本セミナーを10年ぶりに聴講してみて改めて感じることは、歯科の進歩と品質の向上は、結局は日々の臨床データの集積と分析につきるということです。患者は自分自身のデータを他の人の平均値と比べられることで、自分の健康管理への意識が高まり、修復受診以外のモチベーションにもつながります。さらにデータベースを匿名化することで、ヘルスケア歯科への新しいインフラになるのだと思います。歯科医療は情報産業化することで革新し、ブルーオーシャンを見つけるのではないかと妄想を抱きながら、このセミナーの聴講を終えました。

図らずも熊谷先生は「8020は患者の努力で達成できるが、KEEP28(すべての歯を守る)は歯科医療にイノベーションが必要」とセミナーで語られていました。
38年にわたる日吉歯科診療所での取り組みから発せられる熊谷先生の言葉は、「10年たった今でも含蓄深い」と、年の終わりに感じています。