患者にとっても歯科医師にとっても“本当の利益”をきちんと追求する姿勢が求められる
インプラントや補綴処置などの自由診療の値付け(価格決定)は、材料費・技工料や人件費などの原価計算をして決定することが一般的です。しかし、材料も技工料もほとんどかからないメインテナンスとなると、健康保険診療報酬を基準に自由診療の“値付け”がされている場合が多いようです。
特に自由診療メインテナンスの場合は、単に名目だけは自由診療といった感じは否めません。その内容たるや保険診療のSPTそのもので、患者データとチェアタイムに少しばかりのお愛想を加算されて現金での支払いが求められます。要は、同じ内容で健康保険であればSPT、自由診療だとメインテナンスと呼び方が変わるだけです。補綴の場合は原価計算による一応の合理性で、“値付け”への納得感を得られることはできます。しかし、自由診療メインテナンスの場合は、求められるものが納得感から満足感へと高くなるにも関わらず、未だに歯科医院の“値付け”は健康保険を基準にしている状況です。
このような健康保険基準の“値付け”は、歯科医師の高度経済成長期の頃から引きずる古びた価値観によるものだと思います。高度経済成長期の初期に発足された国民皆保険制度は、広く国民に健康を安価に向上させてきました。それ以前は国民の1/3が無保険者だったため、皆保険制度の普及により健康な労働力が増えて生産性が向上し、高度経済成長の一端を支えてきたことは容易に想像できます。歯科医師の価値観は、この時期まで遡り現在の“哲学なき値付け”へと繋がってくるのだと思います。
健康保険制度が国民生活に広く定着すると、“よい品をどんどん安く、より豊かな社会を”を企業理念とするダイエーを始め薄利多売の流通店舗が台頭して発展してきました。時を同じくして歯科医師も黄金時代を迎え、歯学部・歯科大が16校(学部) も増えた時期です。健康保険制度の発足→国民の健康増進→生産性の向上→経済の活況→飽食な生活→齲蝕の増加→歯科医師増員政策といった流れがこの時期にできあがりました。医療も経済も日本全体が量の拡大に躍起になった時代。「大きいことはいいことだ」とチョコレートのCMが流れる時代背景の中で、大量のむし歯を健康保険で安価に治療する歯科医師が、国策として大量に作り出されたわけです。連続経済成長率10%以上を背景に、国民も歯科医師もそして国までもが、健康保険制度の財源は尽きることない泉のように思っていた時代です。この時期から“健康保険でより良い治療をより安く”といったダイエー同様な価値観が、自然と国民にも歯科医師にも染みついたとしても不思議ではありません。
安売りによる大量消費をスローガンにしたダイエーの崩壊は、時代の先行きを読み間違えた“哲学なき値下げ”が原因といわれています。このことは、歯科医院の“哲学なき値付け”に対しても示唆的です。患者のむし歯は減り、増えたのは歯科医院ばかり、予防予防と言われても歯科衛生士は集まらない、経済成長率の鈍化で社会保障は危ぶまれる。こんな時代に“健康保険でより良い治療をより安く”だけでは、歯科医院が存続する道理がないことは、歯科医師ならば誰しもが、うすうす気がついているはずです。
しかし、それでも歯科医師は変われないのです。経営を健康保険制度に依存しているために、健康保険制度の変更によって変わることには慣れているものの、歯科医療の価値観を掲げて自らの意志で変わることには臆病なのです。ダイエーは “より良い品をより安く”という古びた価値観に縛られ破綻しました。歯科医院も制度設計が古くなってきた健康保険制度に縛られていては、ダイエーと同じように時代の“茹でガエル”状態になることは明らかです。
現行健康保険制度の価値を認めない人はいないでしょう。しかし、健康保険制度を基準に自由診療の“値付け”をすることは、古びた価値観で、未来を切り開こうとしているようなものです。高度経済成長期を通過して量が充足された現在、さらに「より良い品をより安く」というスローガンは、「何かおかしい?」と感じるはずです。良いものは価値が高いから値段も高いというのが、市場経済の原理原則です。
歯科も同様です。むし歯洪水は遠い昔となり、市場経済の中で位置づけされる歯科医院の価値は、“健康保険でより良い治療をより安く”ばかりではないはずです。歯科医師は、健康保険制度に合わせて治療やメインテナンスをする無理な努力からそろそろ脱するべきです。市場経済の中で高い価値を自由診療として提供し、その“値付け”に気持ち良く応じてもらう努力をしていってはどうでしょうか。大切なことは、古びた価値観に縛られることなく、目先の金銭的な価値に流されずに、自由診療の“値付け”をすることです。それには、歯科医師が、患者にとっても自分自身にとっても“本当の利益”をきちんと追求する姿勢を持つことが求められていることは言うまでありません。