都内某所を歩いていると「痛くない歯科」と銘打った看板が目に飛び込んできました。この看板を見た瞬間、なぜか郷愁を覚え、「中国人の気持ち良い耳そうじ」と書かれた古びた床屋の看板を、不思議な思いで見ていた子供の頃にタイムスリップしていました。
そして、医療法広告云々以前に、その歯科医院に“切なさ”を禁じ得ない思いに到りました。少し離れたところに目を移すと、「CT・マイクロスコープ完備」とデカデカと書かれた看板。ここまでくると痛みとか技術は問題ではなく文化が違い、コンサバティブな私には、その医院に入るのはずいぶんと勇気がいります。
歯科医院の設備水準が向上しているのと同様に、都市の街並みや施設の整備も進み、床屋の看板を不思議に見ていた60年代東京オリンピックの頃とは都市の景観が違ってきています。もはやサイン計画は都市空間の公共性が問われるのが普遍的になった現在、この歯科医院のサインはいかにも自らの医院の価値を下げていると同時に歯科界の評価を貶めているように感じます。
「景観とは人間を取り巻く環境の眺めに他ならない」という東京工業大学名誉教授で景観工学者の中村良夫氏の定義があります。私流に解釈すると「人が感覚や置かれている立場によって環境を検証し、文化によって解釈するシステム」となります。したがって人は景観を都市美の視点で解釈したり、人が違えば、件の歯科医院のように経営の観点から景観を構築したつもりで破壊したりするわけです。
そういえば、この歯科医院「審美歯科」とも、ことさらに表記していました。なるほど、恐いもの見たさに一度は来院したくなる歯科医院かも知れません?!これが歯科雑誌に取り上げられる看板マーケティングの力(恥?)というものなのでしょう。