年度末3月は不思議な月でした。というのは、この業界で私の歯科医師を見る目を養ってくれた恩人ともいえる、そして今ではあまり連絡のない3人の歯科医師から、続けて連絡をいただいたからです。
1人目は90年代前半に、歯科メーカー・材料店と組んだ歯科版サブプライムローン的な手法によって、銀座・原宿・横浜などに十数軒の分院展開をしていた歯科医師です。この医療法人の後始末を法律事務所と行い、歯科小売・流通が主体の開業のゴールは、結局は物売りが目的と学びました。当時は時代の寵児のように取り上げられた、その歯科医師の晩年は、人も資産も残らなかった現実、総じて言えば歯科業界の闇を学んだ歯科医師でした。歯科医師のキャリアデザインとしても寂しい感は拭えません。
2人目は、物書きの歯科医師としては秀逸で、毎日新聞社賞も受賞されている方です。入れ歯や歯科医院経営に関する業界書籍は多作で、総義歯に対する知識と歯科医院経営の実態、そして多くの歯科医師にとって入れ歯は鬼門になっていることも学びました。今でも折に触れ、経営に関する文書などを送ってくださり、ご意見を聞かせていただいています。総義歯を通じて歯科界の中で、後進の指導をしてきた歯科医師人生でしたが、歯科界から離れても各方面で活躍できるキャリアデザインを積み上げています。
3月31日開催・千葉県市川歯科医師会主催「中村先生の教授ご就任をお祝いする会」にて講演をする中村光夫先生。
そして3人目が本稿の主役、中村光夫先生です。
当時順天堂大学系列病院の歯科部長をしていた中村先生との出会いは、大手化学工業製品メーカーの(株)トクヤマから紹介され、病院内での歯科部門の拡張の相談を受けたことが始まりでした。歯科理工学や歯科材料にはさしたる関心もなく理解もできない私に、東京医科歯科大の略称「材研(現・医用器材研究所)」の中林宣男先生の教室でスーパーボンドの開発に携わっていた中村先生は、ことあるごとに医局でお茶を勧めてくださり、各歯科メーカーのレジンや接着剤の説明を熱心にしてくださったものです。化学的な理解は朧ながらも、門前の小僧のように歯科医師の臨床の質を使用材料から評価する目を養うことができました。一般的歯科医師の使用材料は、生体親和性や耐久性などより保険点数に左右されることを知り、その時に保険診療の限界を学びました。
そして何よりも中村先生からは、現状の歯科医療のリカバリーとしての予防歯科のあり方を学びました。矯正用のダイレクトボンディング材からスタートしたスーパーボンドが、象牙質にも高い接着性が確保されるようになると、補綴・保存修復用途にも用いられるようになりました。さらに生体親和性の高さから歯髄の保存、歯周病関連ではエムドゲインやGTRメンブレンの併用による臨床応用がこの30年余りで進んできました。予防歯科を包括的に考えると、第2次予防の発症後のMIや第3次予防の機能回復には、スーパーボンドを代表とする接着歯学の予防歯科への貢献は非常に大きいと思います。つまり、私が発症前の第1次予防を踏まえながら、第2次・3次予防まで包括的に予防歯科を捉える目を養えたのは、中村先生から受けてきた接着剤談義があったからこそです。
中村先生は歯科材料の研究者でありながら、前述した病院で歯科部長を務めておられ臨床家としても優れていたと多くの歯科医師から聞いています。歯科部長を辞めた後も、自宅敷地内に診療所を開設しながら、歯科材料の開発やクリニカルレポートの執筆で歯科業界に貢献しています。中村先生の歯科医師としてのキャリアデザインを見て思うことは、研究者としての能力は臨床家としての実務によって磨かれてきたことです。近年、産業界では業務の多角化、専門化により「Off-JT(現場を離れた知識・技能)」の重要性が喧伝され、歯科界も習う向きがありますが、中村先生を見ていると、歯科界は伝統とも言える現場経験を生かした「OJT」が、歯科界のキャリアデザインには依然と大切なことと思います。
3月をもって臨床家としては引退される中村先生は、4月1日より日本大学歯学部臨床教授、三井化学グループ・サンメディカル(株)の顧問に就任されるとのこと。歯科界でのキャリアデザインとして、臨床家からメーカー研究者へ、大学教育者へと転出することで、診療所・大学・メーカーの共有知が形成され、新しい文化が歯科界の中にできてくる期待が膨らみます。中村先生のような「ひとかどの歯科医師」にとって、次なるステージは、新らしいキャリアデザインを後進に示すことと思います。